一般サラリーマンの人生好転までの経緯報告

節約、投資、など人生を好転させるものについて書いていきます。

【北朝鮮からの逃避行】じいちゃん2人ともすごい経験をしていた【母方の祖父】

私は広島に住んでいる31歳ごく普通の会社員。

長い間じいちゃんと過ごしてきましたが、ここ最近まで知らなかったことがあります。

それは、

じいちゃんは北朝鮮から逃げてきた経緯がある

ロシアで捕虜となっていた

ということ。

よく理解できないと思う人も多いと思います。

私もここ最近になって聞いた話でした。

じいちゃん世代は、戦争というものを経験しています。

昨年亡くなった父方のじいちゃんは、ロシアに捕虜として捕まっていました。

「銃弾をふくらはぎに受けたこともあったんだよ」と傷跡も見せながら、昔話をしてくれました。

じいちゃんが亡くなって、話を聞く機会がなくなり戦争が風化しているというのは、こういうことなのかと思いはじめ、何か残そうと思っています。

ですが、あまり記憶にないのが難点です・・・

やはり戦争の話となると「興味がない」という若者の考えが勝り、また長話が始まるよといった気持ちでした。

失ってから気づくというのはこのことです・・・

じいちゃんは北朝鮮から逃げてきた

今回は母方のじいちゃんについてです。

というかじいちゃんのお父さん(ひいじいちゃん)もすごい人です。

じいちゃんは北朝鮮に出稼ぎに行っていました。

というのも、じいちゃんのお父さんに連れられて、一家で北朝鮮で出稼ぎをしていました。

北朝鮮でものすごい稼いでいて、現地の人達とも仲良くやっており、同じ出稼ぎをする日本人にもよくしていました。

ですが、ある日に事態が急変します。

日本の敗戦です。

すると北朝鮮での銀行口座は凍結され何もできない状態になりました。

ひいじいちゃんは現地の人に捕まり、お金を出せと脅されるも渡したくても渡せれないんだと伝えました。

これを信じてくれない現地人に対して、本当なんだよと伝えてくれたのは、当時良くしていた朝鮮人でした。

ひいじいちゃんは誰にでも謙虚にGiveを与える人物でした。

おじいちゃんはこういった経験から「人との繋がりを大事にしろ」と伝えてくれました。

北朝鮮で捕まり、北朝鮮の人に助けられ自分の家に帰ってからも、家を襲いにくる人がいました。

タンス貯金してるんじゃないか?という考えで家も襲撃され決心しました。

このままじゃマズイ。

北朝鮮から韓国へ逃避行を決心する

北朝鮮からアメリカ統治の韓国へ逃げるしかないという決心をしました。

当時は出稼ぎに来ていた日本人が約80人おり、それをまとめていたのがひいじいちゃんです。

80人を引き連れ韓国への逃避行を決めました。

夜には迷わないように白いタオルを肩にかけはぐれないよう目印にし、

万が一はぐれても数日は生きられるように非常食(はったいこ)をみんなに持たせ

そこから夜間にこっそりと逃げるという計画をしました。

この時点で私は、すごい・・・と驚愕しました。

白いタオルを目印にするという発想がすごい、そもそも韓国に逃げようという発想もすごい

私なら現地でボコボコにされて死んでいたかもしれないと思いました。

そして、ひいじいちゃんは途中で関所を突破する必要もありました。

ですが、80人を率いた日本人が関所を通るのは困難でした。

どこに行くのか?

何をするのか?

とそこでも拷問を受けました。

象牙の棒で殴られ、棒が折れるほどに叩かれていたとじいちゃんは語りました。

ですが、それに耐えている間に別の北朝鮮の人が一緒に亡命しており、うまくその場をやり過ごして進むことができました。

なんとか国境を越える

そうこうあって80人ほぼ脱落者もなく韓国へ逃げ切ったそうです。

そこからは、福岡まで船の船底に乗って帰還してみんな解散しました。

ひいじいちゃんは自分を犠牲にしながらも80人全員を無事に連れ帰ったことは驚きました。

かなり短縮して書きましたが、じいちゃんから聞いた話はすごかったです。

じいちゃんは残留孤児や拉致被害者というテレビ番組は見れないと言っていました。

涙が出るから見れないとのことです。

自分たちは運が良く帰って来れたけど、自分がそうなっていた可能性もあった。

結局、ここまで来れたのは人に恵まれていたからだ。

そう言って話してくれました。

結局

かなりは省略しまいしたが、まさか自分のじいちゃんが北朝鮮から逃避行をしていたということを30年近く知りませんでした。

これは、じいちゃんにとっても辛い過去だったのかもしれません。

話したくないような内容で誰にも話していなかったのかもしれません。

こう言った話は風化させたくないと思いました。

じいちゃんは、現在資料を集めたり本にしようかとしています。

この話を聞いた周りの人は、「本にすべきだ」と言って焚き付けています。

じいちゃんは当時の80人に会えるなら会いたいと言っています。

もしまだ生きている人がいるなら該当する人がいたら会えると良いなと思いました。

当時のじいちゃんは子供出会ったため、80人の名前の記憶もなければ顔も覚えていません。

こう言った中でブログから広がり何か縁があればと思いました。

いつか、詳細に書き起こしたいと思います。